猊鼻渓について

猊鼻渓は、岩手県の母なる河、北上川支流の砂鉄川沿いに、高さ50mを超える石灰岩の岸壁が、およそ2kmにわたって続く渓谷です。大正14年10月8日、国の史蹟名勝天然記念物に、名勝指定県内第一号に指定され、日本百景のひとつに数えられています。

名前の由来

猊鼻渓~げいびけい~という名は、観光開拓の功労者である佐藤猊巌(さとうげいがん)をはじめ、地元有志によって、明治43年に命名されました。舟下りの折り返し点となる三好ヶ丘の奥、攬勝丘の対岸にそびえる大岸壁に突き出た「獅子(猊~しし~)ヶ鼻」が、その名の由来となりました。

猊鼻渓の生みの親

かつて辺境の地にあってほとんど知られていなかったこの渓谷を世に紹介したのは、佐藤猊巌(げいがん)。猊鼻渓を有する一関市東山に生まれ育ち、父・洞潭とともに私財を投じて観光地開拓に努め、東の耶馬渓(やばけい/大分県)とうたわれるまでに発展させました。

げいび渓いまむかし

猊鼻渓は長い間隠されていた?

猊鼻渓が知られるようになったのは、明治時代になってから。それまでは村の人でも知らない人が多かったと伝えられています。理由は、藩の役人が来たときに、接待の負担を逃れるためとか。藩に提出しなければならない風土記や絵図にも、この渓谷の存在は隠されていました。

木流し鍋の「木流し」って?

猊鼻渓の周辺はかつて赤松などの銘木の宝庫でした。これを伐りだし、筏(いかだ)に乗せて砂鉄川から北上川へと流して運ぶ人を、木流しと呼びました。こたつ舟の名物『木流し鍋』は、木流したちが仕事の合間に山で食べた伝統食。鶏肉や大根、ニンジン、ゴボウなどを刻んで味噌で煮た、ここだけの味わいです。

平泉の落人集落?

舟下りの中ほどに、中国の桃源郷になぞらえた古桃渓があります。岩壁の合間の渓谷に一筋の水が流れる水墨画のような名所ですが、この陰には平泉藤原の落人が住まう三十戸ほどの集落があり、砂鉄をとって暮らしていたと伝えられています。

舟の首はなぜ平たい?

船頭が、棹一本でたくみに操るげいび舟。その首は尖った形ではなく、平たく広い造りです。これは馬の産地である岩手ならでは。馬を乗り降りさせるための馬渡し舟から受け継がれたものです。

一杯で三年若返る水?

三好ヶ丘の対岸には、湧き水があります。どんなに旱魃でもかれたことがないこの冷水は、少飛泉(しょうひせん)といい、船頭さんの間では、「一杯飲めば3年若返る」と言われているそうです。

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